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2008年02月12日

法事とは

皆さまはこれまでに何度と法事をつとめられたことがあると思いますが、それではなぜ法事をつとめるのでしょう?


亡くなった父母、祖父母や、ご先祖などの年忌には法事をつとめます。これは、亡くなった人のために、お経をあげてもらい、そうすることによってその亡くなった人が救われるのだというような気持ちが大きいようです。

これは一種の感情でありますから、良いとか悪いとかの問題ではなく、私たちがもうひとつ思いかえしたいのはつとめないでいられない私たちの気持ちには自分でも気づかないほどの大きい深い意味があるということです。

この事実にめざめてみると、かえって亡き人たちに案ぜられている私たちがあるということも知られてきます。

普段、人間は死ぬものだとわかりきったことにしています。それでも私たちは死ぬと言うことばをきらって、似た発音さえいやがっています。

しかし、いざ近親の死にあいますと、理屈や人間の理解では解決することにできない人間の「死」という大きな、深い、そしてだれもがかかえている問題に突き当たるのであります。

一度は必ず死なねばならない。どんなに愛するものとでも、どんなに深いつながりのある人とでも、どちらかが先に死んで、わかれていかなければならないのであります。

この悲痛な事実に直面して、死んだ人のためにという形をとりつつ実は私たち自身の問題がそこにあらわれているのであります。

つまり、法事とは、どこまでも仏法のことであります。したがって亡くなられた人のお徳をしのび、その人の生前のことや、その御恩を思い起こしてお礼申し上げることは勿論のことですが、ご法事に集まっていられる人人と共に、これをご縁として仏の教えをきかさせていただき、私たち一人一人の問題として、人生にとって最も尊いものは何かを明らかにさせていただくことが何より大切なことであります。

       




この文面は「同朋奉賛」という経本に載っている「法事とは」の抜粋ですが、この文面の中の「つとめないでいられない気持ち」を人が忘れることさえなければまだまだ世の中は良くなっていくのではないかと自分は思いました。


タグ :社長独り言

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Posted by 永田や COO at 11:58│Comments(0)社長の独り言
 
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